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2025.7.19 (Sat.)

本日は信州ダービーである。素直にそのままスタジアムに直行するのはもったいないので、当然寄り道するのだ。
今回テーマとしたのは、飯山である。16年前に訪れているものの(→2009.8.13)、それ以来一度も行っていない。
市役所の写真もいちおう撮ったけど雑だし、気になる神社もあるし、あらためて訪れることにしたのだ。

長野新幹線が金沢まで延伸して北陸新幹線となったことで、飯山駅は移設工事が行われてだいぶ姿が変わった。
完全に浦島太郎気分で新幹線の改札を抜けると、左手に恐ろしく質素な飯山線の入口。しかも豊野以南はしなの鉄道だ。
こうやって地方は衰退していくんだなあと思うが、全力で反抗している要素が『名探偵コナン』なのであった。
今年のコナン映画「隻眼の残像」は長野県が舞台ということで、駅はひたすらコナンコナン。来年どうすんだろう。

 飯山駅。野沢温泉に向かう拠点でもあり、外国人観光客もそれなりにいた。

野沢温泉に向かう大型バスを見送ると、しばらくしてやってきた地元のバスに乗り込む。こちらも終点は野沢温泉だが、
僕は途中の場所に用があるのだ。30分ほど揺られて関沢というバス停で下車する。ここから1.5kmほど東へ行くと、
戸隠(→2017.9.10)・飯綱とともに信州三大修験霊場のひとつとして栄えた「小菅山」こと小菅神社の里宮があるのだ。
そしてその先には小菅神社の奥社もある。朝のうちに小菅山を押さえ、昼に飯山市内を歩き、夕方に南長野へ移動する。

  
L: 関沢のバス停からすぐのところに小菅神社の二の鳥居。  C: 穏やかな風景だけど、坂道はなかなかのキツさ。
R: 長野県指定文化財となっている仁王門。17世紀後半に元隆寺の西大門として建てられ、現在も変わらぬ位置にある。

関沢のバス停からすぐのところに小菅神社の二の鳥居があるが、ここからがなかなかしんどい。天気はしっかり晴れ。
直射日光じたいは温暖化以前と変わらないはずだが、より厳しくなっているのは気のせいだろうか。そして坂道が急勾配。
午前中なので気温がそんなに高くないのが救いである。さて今日はちょうど式年大祭の柱松柴燈神事が行われるようで、
仁王門前の通りで大幟を立てていたり講堂を飾りつけていたりと、地元の皆さんが何やら作業中なのであった。

  
L: 今週末が柱松柴燈神事ということで登場している大燈籠。国重要無形民俗文化財に指定されており、3年に一度の開催。
C: くぐって左手が小菅神社里宮の境内である。  R: 参道を進んでいくとこの光景。石段を上って拝殿へと向かう。

  
L: 石段を上りきると神楽殿(拝殿)。  C: 手水鉢の底にはさまざまな色のガラス玉があってきれい。苔も見事である。
R: 神輿殿。柱松柴燈神事で担ぎ出される神輿が収められている。公式サイトによると、出番は明日の日曜日のようだ。

  
L: 小菅神社里宮の本殿。1660(万治3)年に飯山城主・松平忠倶が建てた。茅の輪は式年大祭仕様ということみたい。
C: 角度を変えて眺める。  R: 本殿の脇に神饌殿。本殿は1923(大正12)年に改修され、周囲の建物はその頃に整備された。

本殿の東側から下りると講堂の背面に出た。1741(寛保元)年の築で、こちらの前庭が柱松柴燈神事のメイン会場となる。
2基立てられている柱松は、柴をブドウの蔓で結んでつくったもので、高さ4m。祭りでは若者たちがこれによじ登り、
火打石と燧金を使って点火する速さを競う。上(東)が勝つと「天下泰平」、下(西)が勝つと「五穀豊穣」とのこと。

  
L: 参道の東側にある小菅神社の講堂。本殿を参拝した後に寄ったので、まずは背面から。   C: 正面から見たところ。
R: 奥社の参拝を終えて講堂前の庭に戻ってきたら、準備がだいぶ進んでいた。両側に立っているのが柱松である。

里宮の参拝を終えると、いよいよ奥社である。さらに200mほど坂道を上ると、鳥居が建っていていかにもな入口。
しかしその鳥居の足元にはクマ出没注意の看板が立っていた。いや本当にシャレにならない。先週は鈴を借りたが、
もはやマイ熊よけ鈴を買った方がいいのかもしれない。とりあえず今回はiPodの音量を最大にして突き進む。

 もはや日本の山の中は、どこもすっかり油断できなくなっている。

鳥居をくぐっていざスタート。奥社への参道は「小菅神社の杉並木」として長野県の指定文化財となっているようだが、
その「杉並木」という名前に完全にだまされた。戸隠神社奥社の杉並木がわりと平坦でその記憶が強く(→2017.9.10)、
こちらもそんなもんだろうと高をくくっていたら、途中まではまあ並木だったけど、後半の半分以上は完全に登山だった。

  
L: 奥社への入口。  C: 序盤は確かに「杉並木」の形容が許される雰囲気。  R: それでも足元は全般的に荒っぽい。

  
L: 途中から明らかに登山となるのであった。  C: 戸隠の奥社と違って、小菅山は完全に修験道の世界である。
R: 賽の河原。どこが河原じゃ!とツッコミを入れずにはいられない急勾配。もはや意地だけで両足を交互に出していく。

  
L: 愛染岩。  C: ゴール手前で分岐するが、険しい方を行くのが男ってもんよ。そしたら鎖場が登場しやがった。
R: といっても鎖場は写真で示した範囲だけなので大したことはない。登りきると奥社の本殿はもうすぐそこである。

入口の鳥居をくぐってから30分、奥社の本殿に到着した。北側にそびえる岩肌にはめ込むようにして建てられており、
南側はそれほど高くないが懸造となっている。なんせ足場がよろしくないので正面からしっかり見られないのが切ない。
国指定重要文化財ということであちこち眺めるが、アングルが限られる。しばらく休んで気が済むと、下山を開始する。

  
L: 奥社の本殿に到着。  C: 反対側から見た本殿。室町時代中期の建立とのこと。  R: 正面はこんな感じ。

岩がさまざまな角度で露出しており、捻挫した右足首(→2016.7.30)の靱帯がときどき変にズレる感覚になりつつも、
どうにか無事に下りきった。時間はほぼ20分。鳥居の手前であえて左に入り、護摩堂の背面に出る。こちらにはかつて、
小菅山元隆寺の別当寺である大聖院があった。1963年までは建物があったそうだが、現存するのは護摩堂だけである。
護摩堂とはいかにも密教と習合した修験道らしい。1750(寛延3)年の建立で、柱松柴燈神事の出発点となっている。

  
L: 鳥居の手前で左に入り護摩堂の背面に出たところ。  C: 正面から見た護摩堂。  R: 石垣の積み方は梅鉢積みというそうだ。

里宮の授与所で御守を頂戴したところ、神職さんから「修験だからねえ」と言われてぐうの音も出ない僕なのであった。
フラフラになりつつ坂を下って関沢のバス停に戻ると、瑞穂郵便局の日陰で呆けて休んで過ごす。朝から激しかったなあ。

  
L: 小菅の集落の典型的な住宅。  C: 新築された住宅も伝統をうまく継承している。  R: アパートにも屋根。雪対策かな。

 途中に千曲川左岸の風景を眺められるスポットがあった。左奥に見えるは妙高山か。

やってきたバスに乗り込むと、千曲川を渡った福寿町バス停で下車する。まずは北へとトボトボ歩いて飯笠山神社へ。
16年前に参拝しているが(→2009.8.13)、御守を頂戴するのだ。現在の市街地からは城を挟んだ反対側で離れているが、
もともとはこの辺りの有尾地区の方が早くから集落が形成されていたそうだ。室町時代の応永年間に泉氏が八幡神を勧請、
飯加佐(いいかさ)八幡と称して飯山城内に祀っていたが、信濃に進出した上杉謙信が飯山城の拡張を進めていき、
1579(天正7)年に神社を有尾地区に遷座させて、産土神の諏訪明神や少彦名神と合祀した、という経緯があるそうだ。

  
L: 飯笠山神社の入口。  C: 鳥居。  R: 手水。アジサイが鮮やかである。

  
L: 飯笠山神社の拝殿。なかなか独特な形式が残っている。  C: 本殿は覆屋の中。  R: 少し離れて社務所。

御守を頂戴すると南に戻るが、途中で飯山高校の前を通る。飯山高校といえば、2019年に甲子園に初出場(→2019.8.9)。
そしたら1回戦の相手が仙台育英ということで県民大爆笑、その後すべての盆地を超えて全県民からの応援を受けるも、
20-1で敗れるという豪快な伝説を残した学校である。先制点を取ったんだから立派なのだ。いや本当にかっこいい。

 
L: 長野県飯山高等学校。  R: 甲子園出場を記念したレリーフ。県立高校にこれがあるってのはかっこいいよなあ。

そのまま飯山城址公園へ。こちらも16年前に訪れているが、あらためて写真を撮りながら歩きまわる。
本丸跡には葵神社が鎮座するが、1717(享保2)年から飯山藩主となった本多家の祖である本多広孝を祀っている。

  
L: 飯山城址公園。  C: 復元された城門。  R: 切り通しを行く。

  
L: 本丸跡に鎮座する葵神社。  C: 角度を変えて眺める。  R: 本殿。

 本丸跡の石垣。飯山城址は遺構が中途半端に残っている印象。

飯山城址から南側が、現在の本格的な中心市街地である。市役所へ向かう前に、目立っていた飯山復活教会を撮影。
珍しいことに日本聖公会(英国国教会の系統)の教会で、1932年に建てられて国登録有形文化財となっている。

 
L: 飯山復活教会。  R: 角度を変えて眺める。きれいにしてある。

いろいろ寄り道してようやく飯山市役所に到着である。1984年の竣工で、ネットでざっくりと調べてみたところ、
久米設計に在籍した方が内装を担当したらしいデータが見つかったので、設計は久米設計がやったのかもしれない。

  
L: 飯山市役所。  C: 敷地内に入って北西から眺める。  R: 北から見た側面。

  
L: 北東から見た背面。  C: 南東から見た背面。  R: 電柱と電線が邪魔なので近づいてあらためて見たところ。

  
L: 南側の側面。  C: 南西から。  R: 敷地内に入って南西から見たところ。

  
L: 土曜日だけど参議院選挙の期日前投票を実施中ということで中に入ることができたので激写。
C: 敷地の端っこに雪があった。なぜ雪? こないだ降ったとか、さすがに飯山でもそれはないよね?
R: メインストリートの本町通りに出た。16年前と比べるとけっこう劣化している印象を受ける。

そのまま飯山駅前へと向かうが、その手前に公園があって寺の山門らしきものがポンと建っている。
中に入ると善光寺の旧仁王像が安置されていた。これは1912(明治45)年の御開帳に合わせてつくられたもので、
わずか1ヶ月で完成させたという。その後、近くの寺に譲られたが大きすぎて放置されたり別の寺にもらわれたり、
紆余曲折を経た後に「寺のまち飯山」のシンボルとして2012年に飯山市が譲り受けた。飯山は確かに寺が多いのだが、
寺町を形成しないであちこちに分散しているので、巡るとなるとけっこう大変なのだ(過去ログ参照 →2009.8.13)。

  
L: 雪と寺の街シンボル公園の一角に仁王門。  C,R: 中には善光寺の旧仁王像が安置されている。

もうひとつ気になったのが、飯山線の西側にある飯山市文化交流館「なちゅら」。2016年のオープンで、設計は隈研吾。
地元産のカラマツとコールテン鋼による外壁がトレードマークとのこと。雪国でどれだけもつか、壮大な実験中ですかな。
イヴェントを開催中で中を動きまわることはできなかったが、隈事務所や施工した清水建設などのサイトを見るに、
太宰府参道スタバ(→2017.8.5)や白馬のスタバ(→2023.10.14)とほとんど同じことをやっている印象である。

  
L: 飯山市文化交流館「なちゅら」。この日は音楽イヴェント「信州いいやまノーナ・フェス2025」を開催中。
C: 市役所に雪があったのはこれが理由か。わざわざとっておいたんだなあ。  R: 飯山線越しに眺める側面。

飯山駅からは在来線で長野へ。途中の豊野でJR飯山線からしなの鉄道になるのが、なんともすっきりしない感じがする。
長野駅に着いたのが14時半過ぎ。遅い昼メシをナカジマ会館でいただくと、駅東口からの無料シャトルバスに乗り込む。

 ナカジマ会館のきのこそば。

篠ノ井駅でワンクッション挟まなくて済むのはなかなかありがたい。何より指定席が拡大したのが本当にありがたい。
おかげでボケッと大行列に並ばなくてよくなった。今回、飯山市内をじっくり堪能できたのはそのおかげなのだ。

 指定席だと行列に並ばずに済んで本当に楽である。

さて信州ダービー。J3リーグ戦としては第2ラウンドで、県サッカー選手権(天皇杯予選)を入れると3戦目である。
今年のこれまでの結果をおさらいすると、3月のJ3が延期で(→2025.3.16)、5月の県サッカー選手権が1-0で松本の勝利。
その3日後に実施されたJ3延期分が2-2(→2025.5.14)。というわけで、松本の1勝1分けという状況となっている。
ホームで松本を迎える長野としては絶対に負けたくない戦いだが、それ以前にJ3での順位が17位という体たらく。
対する松本もプレーオフ圏内に踏み込めない8位で、どちらも浮上のきっかけとしたいところ。……毎回そんなんだな。

  
L: エキジビションでPK戦をやったライオーとガンズくん。アルクマもいる。しかし日本って国はキャラクターの帝国だな。
C: ウォーミングアップに出てきた選手がゴール裏で肩を組み、選手入場時のチャント(Sky)を長野サポと一緒に歌う。
R: 恒例となっているスタジアムDJの煽りにブーイングで応える松本サポ。両者ともに「わかって」熱くなる理想型。

  
L: 本日の信州ダービーはホクトPresentsとして開催。そんなわけでさまざまなキノコの子実体たちがやってきたのであった。
C: いくらホクトPresentsとはいえ、ボールスタンドがなんだか悪い夢みたいなのだが。  R: 子実体どもによるキックイン。

試合が始まると、とにかく長野の動きがよい。ボールが相手に入るのを眺めるのではなく、必ず競り合うのだ。
そうして相手より先に触って、絶対に自由にやらせない。たいへん気持ちの入ったプレーが展開されて、思わず興奮する。
長野は攻撃時にはチーム全体がどんどん押し上がっていき、松本をしっかりと押し込んで、攻撃をしっかりやりきる。
逆に松本ボールとなったときも、ラインを高く保って我慢。ボールを動かされても集中して守れており、言うことなしだ。
後半もこのままいけるとは思わないが、かなりいい入り方ができている。5月(→2025.5.14)とはまるで別のチームだ。

 
L,R: 5分、長野は右サイドの安藤がインスイングでアーリークロスをあげるとFW進が飛び込む。鮮やかすぎる先制点。

開始わずか5分、長野は右サイドの安藤につけると、思い切ったタイミングで左足のクロスをあげる。
これに逆サイドでFW進が頭で合わせて鮮やかに先制。いつも前から献身的な守備をする進のゴールが本当にうれしい。
もしいま長野のユニをつくるなら進の11番だな、と思っているくらいに好きな選手なので、活躍が見られて最高の気分だ。
その後も長野はまったく緩むことなく攻守に集中力を見せる。松本も調子が悪いわけではないが、長野がよすぎるのだ。
ただ、長野はチャンスをつくるが決めきれない。シュートで終わることができている、と評価することもできなくないが、
点を取れるときに取っておかないと後半苦しくなるのも事実。この集中力が90分フルに続くとは思えないのである。

  
L: この試合の長野はディフェンスラインもしっかり上がっている。ケツが重くてイライラすることがない長野は久しぶり。
C: 松本ボールでもディフェンスラインが高さを維持してコンパクトに守れている。  R: 松本を縦に入れさせない守備。

  
L: 前半は完全に長野ペース。松本はよく守りきったと言えるほど。  C: 松本のFKも撥ね返される。ひとつひとつ丁寧に対応。
R: 長野は2ヶ月前とは比べものにならないくらい足元が上手くなっていた。……というか、2ヶ月前がひどすぎたのだが。

後半はさすがに疲れが見えるのと松本が修正したのとで、長野は相手よりも先に触れなくなり押し込まれる場面が増える。
それでも相手の攻撃にひとつひとつ丁寧に対応し、GKのところでギリギリ防ぐというピンチをわずか1回程度に抑え込む。
5月にはボールを相手にプレゼントしまくっていた長野だが、この試合ではミスが少なく、またミスしても対応が早かった。
松本の攻撃のターンをきっちり切ることで、相手にモメンタムが傾かないようにしている。本当に丁寧な守備ができている。
このクオリティのサッカーができるのなら、降格圏外ギリギリの今の順位にいるはずがないのだが。首を傾げつつ観戦。

  
L: 後半はさすがに松本がだいぶ押し返すが、長野は受けにまわらず攻撃を仕掛ける。攻撃を最大の防御とする感じ。
C: 競り合う進。ゴールキックは基本的に進をターゲットとして、そこからセカンドボールを押さえていく作戦。
R: 長野はしっかり攻め込むことで時間を消費して、松本の攻撃の残り回数を削っていく。愚直にやるしかないのだ。

松本は交代カードを切ってフレッシュな選手を入れていくが、なかなか思うように長野への圧力へとつながらない。
すると最終盤に入ってゴタゴタが発生。藤本監督にはイエローが出る始末。なんでそんな状況になるのかわからないが、
長野にしてみりゃこれはクリンチも同然なのだ。集中を切らさずに、残り時間をのらりくらりとかわせばいいだけである。

 警備員が登場するほどモメるとは……。

松本はFW田中が抜け出してGKとの1対1が決定的だったくらいで、なかなか攻撃の糸口がつかめなかった感じ。
客観的には「長野がよく耐えた」ということになるのだろうが、集中している守備を破るだけの特別さは出せなかった。
(小松蓮がすごかったなあ(→2023.10.15)と思ったら、つい先日J1神戸へのステップアップが発表されたのであった。)
まあとにかく、長野は追加点が欲しかったけど攻撃と守備のいい形を実現できたので、今後も続けていきたいところ。

 やや殺伐とした雰囲気の中、長野のウノセロ勝利で試合終了。

さて、暗くなってからのシャトルバス乗り場のわかりづらさは、松本に劣らずこちらもかなりひどくてまいった。
ちょっと明かりをつけて示せばいいだけなのに、なぜそれをやらないのか。指定席は改善されたので、こっちも改善希望。

なお本日の入場者数は10,677人。この分だと、次回の信州ダービーでは1万人を割り込んでしまいそうだ。
まずはいつもの試合の質を今日と同レヴェルまで上げること。順位が上がらないことにはどうにもならんだろう。



2025.7.11 (Fri.)

なんせ夏の道東の天気は曇りがちなので、前乗り込みで「釧路に4泊」ということだけあらかじめ決めておいた。
で、一日分の旅程を4つ組んでおき、天気とにらめっこしながらいつどれを実行するか直前に選ぶ、というスタイルなのだ。
予報によると今日からしばらく晴天が続き、最終日の14日が曇りになるようだ。それで本日は、最優先の課題としていた、
根室リヴェンジを実行するのである。晴れた状況で納沙布岬に行き、この目で絶対に北方領土を見てやるのだ。

ありがたいことに宿は朝メシ付きで、卵かけご飯を主食に牛乳で締めるという理想的な朝食をいただくことができた。
万全の状態で宿を出るが、天気は曇りで長袖でも少々寒い。多少の不安を抱えつつ釧路駅方面のバスに乗り込む。
平日なので通勤・通学の乗客が多く、駅北口のバス停で下車する際に少々手間取った。地下通路で釧路駅に到着する。
実は今回の旅行が始まる前から、7日間連続で普通列車限定の北海道&東日本パスを利用していて、これが微妙に効く。
JR北海道だけだと元が取れない計算だが、都内の移動で使えるのがありがたい。まあ半ば意地で使い倒しているのだが。

8時21分の「地球探索鉄道号」が根室行きの始発である。13年前には8時台に根室に着く便があったのだが(→2012.8.18)、
今年のダイヤ改正でなくなってしまった。釧路発・根室行きのバスも壊滅的で、平日は午後に2便、土日は15時台のみ。
ふだん釧路-根室間はそんなに行き来がないのか。根室がそこまで極端な陸の孤島となっているとは思わなかった。
本数を絞ったせいか、いざ乗り込むと花咲線はなかなかの乗客数である。そしてそれ以上に多いのがエゾシカだ。
うじゃうじゃいる。群れているのがふつうだが、厚岸までの森林区間では30秒に1頭以上の密度だったと思う。
さらには列車が実際にシカと衝突しやがった。ものの2〜3分で復帰するのが慣れている感。日常茶飯事なんだなあ。

  
L: 地球探索鉄道号。そういう名前を付けることでか一部を指定席化している。しかしよくわからん名前である。
C: 厚岸の手前。今日も北海道の沿岸部は昆布を干している。  R: 厚岸周辺の湿原地帯。前回も圧倒されたなあ。

厚岸町の次は浜中町である。浜中町といえば、なんといってもモンキー・パンチ。町内にある茶内・浜中・姉別の3駅は、
どれもルパン仕様となっていた。そういえばこないだ、『ルパン三世』はイタリアで大人気というネットの記事を見た。
日本のアニメがすごいのは、多種多様な作品がある中、必ずどこかの国でバカウケになるものがあることではなかろうか。

  
L: 茶内駅にて。「あ〜らら、ぜーにがたのとっつぁ〜ん」……それにしても、なんでそんな恰好をしているのだ?
C: 浜中駅のルパン三世。13年前と比べてめちゃくちゃ色褪せている。  R: 姉別駅もルパン仕様。中に不二子ちゃんがいる。

厚床から別当賀の間か、ツルがたたずんでいた。端っこのところでじっとしているので、なかなか撮るのが難しい。
根室市域に入ったあたりですっかり青空となり、落石海岸の海の青さが眩しい。が、柵が邪魔で撮影できなかった。
今年3月に廃止になった東根室駅跡がどの辺なのかよくわからないうちに、最東端に戻った根室駅に到着である。

  
L: 根室駅。東根室駅の廃止により64年ぶりに最東端の駅に戻った。  C: アピールに余念がないご様子。
R: 根室駅前バスターミナル。中には観光協会のほか、品揃えがけっこう充実している土産物店もある。

バスターミナル内の根室市観光協会でレンタサイクルを借りる。さすがに自転車で納沙布岬まで行くのは無謀だが、
前回の根室市内徘徊では根室金刀比羅神社までは行かなかった。おそらく最東端の御守となるはずなので、頂戴せねば。

  
L: 根室駅前から国道44号に出て、駅方向を振り返ったところ。さすがの北海道らしく、根室の道幅は全般的に広め。
C: 案内標識にキリル文字。  R: 上から釧路、厚岸、厚床、根室駅。いちばん下はインフォメーションセンター。読めるか!

さて時刻は11時でお昼時。根室には三大B級グルメが存在するが、最も有名なエスカロップは前回食った(→2012.8.18)。
今回は同じくどりあんでオリエンタルライスをいただくのだ! 市役所脇から坂を下って突撃する。相変わらずオシャレ。

  
L: どりあんの外観。  C,R: 店内はとにかくめちゃくちゃオシャレ。根室の文化レヴェルを一気に引き上げている存在では。

では待望のオリエンタルライスをいただくのだ。基本的にはドライカレーだけど薄くして全体を醤油味に仕上げており、
これが絶妙な力加減なのである。なるほど、カレーと醤油のいいとこ取りで「オリエンタル」ということか、と納得。
そこにハラミ肉とデミグラスソースが乗っかって、洋食としての体裁が整えられる。そしてキャベツのみずみずしさよ。
地方の名物では意外な要素を合体させたものがみられるが、オリエンタルライスはまさにシナジー効果を体現した名物。
エスカロップ以上に家で自作するのが面白そうな料理である。日本化された洋食文化という点でも興味深い事例だろう。

 どりあんでオリエンタルライスを食いたいという野望を13年ぶりに達成。

感動で震えつつ自転車にまたがると、金刀比羅神社を目指して坂と戦うのであった。根室は駅と国道が台地上なのに対し、
昔ながらの市街地は港側なので低地にある。したがって、無理に移動するとかなりの高低差を行き来することになるのだ。
今日は風がやんで天気がいいので、長袖でちょうど適温。でも日が陰るとしっかり寒い。午後は暖かくなりそうだが。
まあ自転車で走りまわるには好都合である。それにしても交通の便が悪くなった根室の街中は、活気がないわけではなく、
むしろ前回より賑わっている気がするような。平日なのに観光客はちょぼちょぼいるし、車の交通量はそれなりだ。

 根室は全体的に間延びした街なので、商店街としての密度はだいぶ薄め。

駅から根室金刀比羅神社までは2.5kmほどで、徒歩だと面倒くさい距離だが、自転車だとあっという間に到着である。
ゴローニン事件を解決した高田屋嘉兵衛が讃岐の金刀比羅宮(→2007.10.52011.7.17/2022.7.16)から勧請し、
1806(文化3)年に創建された。根室港を見下ろす位置に鎮座しており、かつてはこちらが中心だったことがよくわかる。
そういえばラクスマンが来航したのも根室の港だった。1931年にはリンドバーグが奥さんを連れて飛んできたそうだ。

  
L: 根室金刀比羅神社の参道入口。  C: 参道は大きくカーヴして北へとまわり込む。後から表参道が付け替えられたのだろう。
R: 根室港を見下ろす展望台が2つあるのだが、参道脇のものには大漁旗が掲げられている。漁港の街・根室の矜持が窺える。

  
L: 参道で270°まわり込んで、やっと二の鳥居にたどり着く。なお、現在地に遷座したのは1881(明治14)年のこと。
C: 正神門。1960年築で、寄進者の姓と名から「佐重門」と名付けられた。  R: くぐって拝殿。現在の社殿は1942年の竣工。

  
L: 拝殿の向かって右にくっついているこちらが社殿への入口だと。  C: 西神門から出ると高田屋嘉兵衛の銅像。1986年建立。
R: 銅像側の展望台から見た景色。弁天島に市杵島神社が鎮座しているのが見える。日本でいちばん早い夕日が見られるそうだ。

社務所には神輿殿・お祭り資料館が併設されており、御守を頂戴する際に見学させていただいた。
根室金刀比羅神社で練り歩くという御神輿が誇らしげに展示されているほか、実際に高田屋嘉兵衛の店で使った袢纏、
さらにかつて北方領土にあった神社の写真、また北方領土から奉遷した神社の紹介などが展示されていた。

  
L: 1935年にわざわざ京都でつくったという御神輿。  C: 高田屋の印袢纏。  R: 現在も例大祭で使用する猿田彦の装束。

さて根室金刀比羅神社に来たらぜひやっておきたかったのが、えぞみくじ。7年前に樽前山神社(→2018.7.21)で、
「北海道ご当地みくじシリーズ」の存在を知ったのだが、これがさらに増えて「えぞみくじ」となっているのだ。
今年はなんと15社で展開中。まあそれなりの規模の神社ということで、御守集めのいい基準になるのでありがたいが。
根室はサンマということでかなり凝っていて、ミニチュアの発泡スチロールケースから釣り上げるというコンセプト。

 
L: 根室金刀比羅神社は「福ざんまいみくじ」である。サンマがテーマということで「福ザンマい」なのね。
R: 釣り上げたら結果は「吉」。解説が北海道弁だが、語尾を「〜だべさ」「〜っしょ」にすればいいんでないかい。

御守を頂戴すると、かなり強烈な坂を上って明治公園へと向かう。低地の漁港から高台の官営牧場跡地へ移動するわけで、
歴史を大いに感じて上がる。もちろん13年前にも訪れたが(→2012.8.18)、天気もいいのであらためて撮影してまわる。

  
L: 明治公園の北西端・ひょうたん池。カモメがいっぱい。  C: こちらが正門かな。  R: 国登録有形文化財のサイロ三兄弟。

そのまままっすぐ国道44号に戻って根室市役所へ。根室市役所は昨年5月に開業したばかり。旧庁舎の隣に建てて、
まさにその旧庁舎の解体工事が終わろうというタイミング。おかげで撮影できるアングルが南側からに限られてしまい、
少々残念である。まあそのおかげで仮囲いに貼り付けられた旧庁舎の写真を見ることができたので、ヨシとしておこう。

  
L: 根室市役所を正面の西から撮影。タッチの差で旧庁舎の解体工事が終わりきっていなかった。これはちょっと無念。
C: 南西から。駐車場が足りないので車がいっぱい。  R: 国道44号を挟んでやはり南西から全体を眺めたところ。

  
L: 敷地の端にある、輸送艦ねむろの主錨。1977年に進水しているので僕と同い年だ。2005年に除籍となった。
C: 北方領土や姉妹都市などを示しているけど、花咲ガニのインパクトが強くて。  R: 根室市役所の側面、南側。

  
L: 南東から見たところ。  C: ファサードは表側と共通。  R: 北東から。ここはかなり強烈な坂になっているのだ。

平日なので中に入ってみる。エントランスはだいたい真ん中にありそのままエントランスホールとなっていて、
北側が防災ギャラリー(ふるさとギャラリー)となっている。参議院選挙の期日前投票の会場として利用されていた。
市街地を見下ろす4階北側も市民交流サロン(防災啓発コーナー)として開放されているようだが、気づかなかった。

  
L: 1階のエントランスホール。  C: 銅板を大胆に使ったパブリックアートが貼り付いている。  R: 南側の窓口エリア。

 
L,R: 解体工事の仮囲いに貼り付けられた旧庁舎の写真。先代の市庁舎は13年前のログを参照なのだ(→2012.8.18)。

これでいちおう、市街地でやらなくちゃいけないことは完了である。納沙布岬行きのバスまでは少し時間があるので、
せっかく根室に来ているんだから花咲ガニを食っておかねばなるまい。というわけで、回転寿司根室花まるの根室店へ。
さっきオリエンタルライスを食っているので、花咲ガニともう一品ということで時知らずをいただいたのであった。
本当は根室名物のさんまロール寿司も食べたかったのだが、秋の刀の魚なのでまだシーズンではないのである。

  
L: 回転寿司根室花まる・根室店。平日昼なのに大賑わい。  C: 時知らず。  R: 花咲ガニ。ただただおいしゅうございました。

レンタサイクルを返却すると、納沙布岬行きのバスに乗り込んだ。13年前にはバスが岬に向かって進んでいくにつれ、
みるみる霧に包まれていった。今日はそんなことないようにと祈りながら揺られるが、最後の最後まですっきり晴天。

  
L: 納沙布岬へと向かう道道35号線。  C: 北海道らしい豪快な景色である。  R: 珸瑤瑁の集落。納沙布岬はすぐそこだ。

バスは遅れることなく納沙布岬に到着。すべてが霧の中だった前回と違い、何から何まですっきり見渡せて逆に違和感。
実際にはこうなっていたのか……と、360°ぐるぐる眺めながら覚束ない足取りで歩きだす僕なのであった。

  
L: バスが納沙布岬に到着。放り出されて途方に暮れる。  C: 北側の望郷の岬公園へとりあえず向かう。
R: 13年前にも見た「四島(しま)のかけはし」。このモニュメントがすっきり見えることにまず感動である。

  
L: 寛政の蜂起和人殉難墓碑。クナシリ・メナシの戦い(船戸与一『蝦夷地別件』→2013.4.6)で殺された和人の墓碑。
C: 北方館・望郷の家。この施設がすっきり見えることにまず感動である。  R: 実はここ、納沙布岬の端っこではないのよね。

さて13年前の僕はスマホを持っていなかったので気づかなかったのだが(単に勉強不足なだけではあるのだが)、
各種モニュメントが並んでいるこの辺りは、実は納沙布岬の最東端ではなかったのだ。いくら霧がひどかったとはいえ、
そのことに気づかないまま13年も過ごしていたのである。今回スマホの地図を見て思わずのけぞってしまったではないか。
納沙布岬の最東端は、納沙布岬灯台のある場所。灯台の裏っ側に狭いけど展望スペースがあり、そこが最東端なのだ。
まあ本当の日本の最東端は南鳥島なんだけどな。自力でたどり着ける最東端は灯台の裏なので皆さん気をつけましょう。

  
L: 納沙布岬灯台。こちらが自力で行ける日本の最東端となります。  C,R: 納沙布岬灯台。現在の建物は1930年の竣工。


納沙布岬灯台の裏から見た光景。

眺めを堪能すると、各種モニュメントが並んでいる納沙布岬の中心部まで戻る。あらためてじっくり、北方領土を眺める。
霧がないとはっきり見えて、なんともやるせない気分になる。サハリンのときには海の間に国境を感じたが(→2010.8.11)、
こちらは日本の領土なのに外国が力づくで居座り続けている。行けるはずなのに、行けない場所。歪な線が引かれた海。

  
L: 後で夕方に撮影した北方領土。国後島の泊山か。  C: 国後島の羅臼山だと思う。これも夕方。  R: 歯舞群島の水晶島。

  
L: 水晶島をできるだけ拡大。建物があって、何とも言えない気分になる。  C: 貝殻島の灯台。中間ラインはこの手前。
R: 萌茂尻島(もえもしりとう)。灯台からはこちらの方角がわりときっちり東となる。それにしても高さがまったくない。

怒ったら腹が減ってきた。ここはひとつ、最東端のメシをいただこうではないか。スマホで最東端と思われる店に入り、
意地でもサンマを食いたかったのでトロサンマ丼を注文する。平日で昼のピークを過ぎた時間帯だったからか、
カニ汁をサーヴィスしていただいた。サンマは季節ではないけど脂が乗っていて、しっかり旨かったのであった。
落ち着いたところで土産物店の中に入るが、品数は多かったけど僕の琴線に触れるものはあまりなかったのが残念。
特にデザインのいいTシャツが売り切れていたのが痛かった。最東端をアピールするグッズは切らしちゃいかんですよ。

  
L: 望郷の岬公園の東側には土産物店がある。  C: トロサンマ丼。  R: カニ汁。どちらもたいへんおいしゅうございました。

バス停すぐ脇の根室市北方領土資料館に入ると、入場無料なのに日本本土の最東端破証明書をくれた。
これは日本本土の東西南北端でもらえるもので、4つ合わせると裏面が1枚の日本本土四極踏破証明書となるのだ。
一瞬、西(→2025.3.28)と南(→2025.3.29)でもらってねえぞと焦ったが、あくまで日本本土なので沖縄は含まない。
しかしそうなると西が佐世保の神崎鼻で、南が佐多岬。佐多岬については公共交通機関がないのでたいへんつらい。
証明書関係なく行ってみたい場所ではあるのだが。まあとにかく、野望だけは心の中で持っておくとするのだ。
で、根室市北方領土資料館は、戦前の北方領土の生活にスポットを当てた施設である。じっくり見ていく。

  
L: 根室市北方領土資料館。  C: いきなり体長4m、体重1トンのトド「トットくん」がお出迎え。  R: 北方領土の動物たち。

  
L: こちらは北方領土の海産物。  C: 色丹神社を再現。シロナガスクジラの骨を使用した鳥居が建てられていた。
R: 北方領土イメージキャラクターのエリカちゃん。モチーフはもちろんエトピリカ。本土では絶滅危機にある。

  
L: 資料閲覧コーナーはかなりの充実ぶり。  C: 北方領土の6村はふだん意識しないのでありがたい。なお歯舞群島は根室市。
R: 歯舞群島の多楽島で暮らしていた福澤さんの思い出の品々。2階にはこの他、北方四島それぞれの写真が多く展示されている。

 北方領土資料館の隣には最東端の公衆トイレ。花咲ガニがデザインのモチーフ。

ではそろそろ、もうひとつの目的地へと出発するのだ。その前に、現状最東端の神社である納沙布金刀比羅神社に参拝。
1915(大正4)年の創建とのこと。かなりきれいに整備されていて、根室金刀比羅神社がしっかり管理しているのがわかる。

  
L: 納沙布金刀比羅神社。  C: 拝殿。  R: 草が茂って本殿方面に近づけないので、距離をとって眺める。

参拝を終えると3kmほど歩いてヲンネモトチャシ跡を目指す。日本100名城の第1番は「根室半島チャシ跡群」だが、
ヲンネモトチャシ跡をその代表ということにして訪れるのだ。地形はほぼ平らなのでひたすらのんびり歩くだけ。
しかしありがたいことに天気がよすぎて眩しくってたまらない。おかげでレイバンが大活躍なのであった。
そりゃ東の端にいるんだから、行き先はぜんぶ西になる。夏の午後の日差しが眩しいに決まっているのだ。
レイバンがまったく似合わない日本人として正直、気恥ずかしさがあるのだが、いざ着けると視界をほぼ完璧に覆って、
その機能性に圧倒される。本当によくできているのである。レイバンは毎回かけるたびに感心してしまうなあ。

  
L: オーロラタワー(笹川記念平和の塔・望郷の塔)。1987年竣工で、新型コロナの影響を受けて2020年から休館となっている。
C: こんな道をひたすらトボトボ歩く。  R: アザミの花がたくさん咲いていた。東西の端に咲くとは逞しい(→2025.3.28)。

  
L: 最東端と思われるネコがいきなり現れた。地元の家で飼われているみたいだが、遊んでくれなかった。残念である。
C: 地平線。端っこなのに北海道は広大である。  R: 温根元地区の歯舞漁港付近で分岐。緑の中に家々が点在する。

温根元地区の集落を抜けるとヲンネモトチャシの入口となる。最短距離で右手に行くと一般の民家に入ってしまうので、
左の方からまわり込む。木はほとんど生えていないが土地に高低差があり、草が深いのでよくわからないまま進む感じ。
そうして納沙布岬灯台の裏にもあった野鳥観察舎(ハイド)で北から東へと方角が変わり、最後にハシゴが現れる。

  
L: ヲンネモトチャシの入口。ここから左にまわり込む。  C: 道を信じて進んでいく。  R: ハシゴを上ればゴールだ。

ハシゴを上るとそこは草に包まれた展望台のようになっていた。ここがヲンネモトチャシなのだ。
前も書いたとおり、チャシは「アイヌによる砦」と考えられているものの、実際はよくわかっていない(→2012.8.18)。
港を望む突端に築かれたチャシからの眺めはすばらしい。ここが漁業活動を指揮する拠点となっていたのだろう。


パノラマ写真をつくってみた。

ヲンネモトチャシはそれほど広くなく、城で言うなら、ちょっと大きめの天守台くらいのサイズであろう。
いろんな角度から港やチャシ自体を眺めて過ごす。漁港から船が出て、北の岩礁で何やら作業して、すぐ戻ってくる。
穏やかな日常の時間が流れているが、かつてのアイヌの人々はこちらでどう過ごしていたのか。何を思っていたのか。

  
L: ヲンネモトチャシの標柱。説明によると、盛り土してから平坦にしたそうだ。周りに7〜9世紀のオホーツク文化の遺跡がある。
C: チャシのいちばん突端から眺める景色。  R: 振り返ってチャシ全体を眺める。歴史の謎を残して、時間がただ流れていく。

そういえば北海道大学で、非常に危険なバイカルハナウド(ジャイアント・ホグウィード)が見つかったと騒いでいるが、
北海道にはあちこちで似たような姿の花が咲いている。調べてみたらオオハナウドで、こちらは食用になる草である。
バイカルハナウドは4m以上とドデカいし、茎も毒々しい斑点があるのでぜんぜん違うけど、ちょっとドキッとしますな。

 オオハナウド。本当にそこらじゅうで咲いている。

歩いて納沙布岬まで戻る。のんびり望郷の岬公園を散歩し、17時を過ぎるとバス停近くで呆けて過ごす。
やがて根室駅前行きのバスが来たので乗り込むと、海沿いの集落を確かめるように戻って根室の中心部へと入っていく。
しかし僕は市立病院前のバス停で下車する。根室の三大B級グルメ、最後に残ったスタミナライスをいただくのだ。
根室商工会議所の1階に入っているレストラン、ニューかおりがスタミナライス発祥の店ということで突撃する。

 ニューかおりのスタミナライス。

スタミナライスという名前なので、スタ丼育ちの僕としてはニンニク全開な味を想像せずにはいられないのだが、
実態はご飯にトンカツとあんかけのない八宝菜を盛りつけたような料理なのであった。フォークで食うけど中華丼っぽく、
なんともドッチラケ感があった。店内はきちんとオシャレなレストランなのに、なぜこの手の料理が出てくるのか疑問。
もちろんまずくはないのだが、最後まで違和感が抜けなかったなあ。あと、出てくるのが予想外に遅くて少し焦った。
それにしても根室のグルメはすごいものだ。三大B級グルメに寿司をはじめとする海の幸もたいへん豊富である。
気づけば今日は一日5食なのであった(朝はセイコーマートの山わさびおにぎり)。根室に観光客が来るのも納得だ。
ひねくれた考え方をすれば、根室の観光資源は北方領土を奪われているからこその最東端、ということになる。
しかしこれだけ食が充実していると、それでもう十分に強い。根室は逞しくマイペースに客を呼び続けるのだろう。

 最東端の最果て光景。看板がしれっと「日本最東端の駅」に替わっている。

19時ちょい前に根室を出た列車は、3時間近くかけて釧路へ。まずは初日、究極の晴れをありがとうございました。


2025.7.10 (Thu.)

テストの採点やらレポートのチェックやら模擬投票やらクラスの事務やらであまりにも忙しい。
落ち着いてものを考える時間が欲しいけど、そんな余裕がないままで切れ目なく仕事をこなしていく。
そんな中、今夜から泊まる予定の宿から電話があり、手違いで今夜だけダメという話を聞かされる。
慌てて宿を探したところ、駅からは遠いがバスでアクセスできる宿が少し安くなっていてどうにか確保。
やや混乱状態のまま職場を後にすると、羽田空港へと向かう。南武線が10分遅れるというおまけつきだが無事に到着。

羽田空港を離陸する便はだいぶ混雑しているようで、頻繁に遅れや搭乗口変更のアナウンスが入る。
わが釧路便は特に何もないようだったが、乗り込んだところで混雑の影響を受けて待たされるのであった。
混雑は積乱雲が発達しているのが原因らしい。少しの遅れて離陸できたのは、だいぶ運がいい方だと思っておく。

釧路空港には10分遅れで着陸。雲が分厚かったが、うっすら雨が降っているのであった。
そういえば釧路の曇りは基本、霧雨含みだったな、と思いだした(→2022.8.3)。夏だしこんなもんか。
さて釧路駅行きのバスは飛行機が着陸してから15分くらいで出るのだが、宿を変更したので晩メシの確保が問題だ。
するっと空港のレストランでいただいて、1時間ほど後の最終便に乗ることにする。鮭たたき丼おいしゅうございました。

 鮭たたき丼。脂の乗り具合が最高なのだ。

テンポよくメシが食えたのでバス乗り場に行ってみたら、当初予定していた便にあっさり乗れちゃったのであった。
しかも宿は空港からだと釧路駅よりも手前となる鳥取地区だったので、途中で降りてすっきりチェックイン完了。
大浴場を独り占めして大いに癒やされる。振り返ってみると、トラブルが続いたわりには大ごとにならず、
めちゃくちゃ要領よく動いていた気がする。波乱に満ちた旅のスタートと思いきや、実は絶好調ではないのか。

部屋に戻ってニュースを見て、関東の大雨のニュースに驚愕する。羽田空港もギリギリセーフのタイミングだったようだ。
冷静に考えると釧路着の最終便が遅れたり飛ばなかったりする可能性もあったのだ。バスがどうなっていたかわからない。
危機を回避しただけでなく存分に楽しませてもらっているが、職場を出たところからずっと悪運強すぎだったのか。

羽賀が卒業で引退とネットニュースで知る。ついにこの日が来たか。お疲れ様でした。ケーキ屋やるんかな。


2025.7.9 (Wed.)

『トラック野郎 御意見無用』。記念すべきシリーズ1作目。池袋の新文芸坐で特集していると知って、慌てて行ってきた。

 ポスター。楽しそう。

ストーリーがこなれていない、というのが第一印象である。勢いはすごいんだけど、わりと勢いだけではないかと。
カーチェイス、ケンカ、恋愛、人探し、祭りの記録、下ネタ、さらにはBL、いろんな要素が消化されないままごった煮。
最後に泥だらけのジョナサン号を牽引しているのも謎である。むしろ2作目(→2025.6.8)のデキの良さがよくわかった。
いいかげんな時代のいいかげんな映画だが、まあわざといいかげんにつくっているのだが、だからこその面白さはある。
まさに大衆娯楽映画なのだ。欲望に忠実に振り切っているという点において、最大多数の最大欲望を実現できている。
いろんな観客がそれぞれ観たいものをとことん盛り込んで、東映テイスト全開で吐き出した。そういえばこの映画、
同じ年に公開された『新幹線大爆破』(→2024.11.182025.5.17)の大コケを補って余りある利益をあげたのだが、
あらゆる要素を盛り込みまくっている点は共通している。当時の東映の「実力者が全力でバカをやる」姿勢が凄まじい。
ただ、菅原文太ということでか実録路線を過剰に意識している感じで、カメラがやたらとブレるのは勘弁してほしい。

さて今回気がついたのは、トラック野郎はカスタム機のパイロットであるということ。
桃次郎の一番星号が1号機、ジョナサン号が2号機というわけだ。デコトラはロボットアニメの要素をうっすら含んでいる。
拡声器でやりとりする様子はまさにその感じ。子どもに受ける要素からアダルトな要素まで本当にごった煮の映画なのだ。

それにしても、『新幹線大爆破』でも使われていた、明朝体を強烈にしたあの書体が欲しいのだが。売ってくれんかなあ。


2025.7.8 (Tue.)

今井正監督作品、『米』。

結論から言うと、この監督に映画の才能はないと思う。自己満足の映像をつくるけど、それは決して他人向けではない。
確かに霞ヶ浦の映像はきれいである。帆引き船(→2018.11.21)や農地や祭りのシーンは美しく、記録のセンスはある。
でもそれだけ。この映画に戦後の貧しい田園風景の記録映像としての価値はあるが、物語をつくっていくセンスは皆無だ。
記録映像の上手さで勘違いしているんじゃないか。暗転の連発に、つながりのないシーンを平然と並べてしまう点など、
ストーリーテリングがクッソ下手。変にリアルさを優先していて、茨城弁で会話がわからないのも観客にはつらい部分だ。
死によるキャラクターの整理も安易である。キャラクターを殺すことは、育てる責任を飼い主が放棄することに等しい。
貧しさと困った性格から勝手に追い込まれていく姿を描いて、それだけ。逞しく生きる人たちを描く能力がないのである。
タイトルも言うほど「米」ではなく、付けるのに窮してシンプルなもので手を打った感じ。記録映像以外、粗しかない。

いちばん面白いのは、寝たきり父ちゃん役(砂の器の父ちゃん役)の加藤嘉が、娘役の中村雅子と結婚したって話。
この映画じたいについては、霞ヶ浦の帆引き船以外に見るべきものは何もない。本当に何もない。


2025.7.7 (Mon.)

『海賊八幡船』。八幡船は「ばはんせん」と読み、室町末期から安土桃山時代にかけて海賊や密貿易を行った船のこと。

 VHS化はされているけど、DVD化はされていない。理由はおそらく……。

いくら昭和がコンプライアンスという概念のまったくない時代とはいえ、冒頭から放送禁止用語の連発でしびれちゃうぜ。
「きちがい」「めくら」「土人」の三冠王。これはマサルが観たら大喜びなんじゃないか。そういう面白さは満載である。

しかし内容はたいへん残念。「めくら船」など用語の説明は一切ないままで進んでいき、話の流れがイマイチつかめない。
バトルは冗長であるうえ、肝心なところで暗くて見えない。慣れてくると展開はコテコテでその分、飽きを感じてしまう。
確かに特撮のデキはいいし、カラーだけど戦前のモノクロ映画の匂いを感じさせるような独特の雰囲気はある。
何より、大川橋蔵の映画を観た、と言える経験ができたのはうれしい。まあでもそれくらい。いかにも昭和のエンタメ。
みんな一生懸命やっているのにぜんぜん面白くならないのが変に面白い映画だ。壮大な空回り感を楽しむ映画ですかな。



2025.7.4 (Fri.)

午前十時の映画祭、『砂の器』。名作ということで気合いを入れて観たのだが、うーん。

まずはミステリ的な部分から。さすがに紙吹雪は無理がありすぎておかしいでしょうと呆れる。
さらに観ていて前半と後半にギャップがあって、話が飛んだ?と思っていたら、丹波哲郎の説明で橋渡しの種明かし。
出生の秘密をやられちゃうとねえ……。刑事は真実に迫れても、観客は迫れない。そのギャップがどうにももどかしい。
そして究極的にはすべてが病気のせいとなる。それで悪意の発生を抗いようのない悲劇として処理されても困ってしまう。

結局はこの映画、観客を泣かせるために病気を利用しているだけではないのか?
確かに泣けるし筋は通っているのだが、僕としては感動よりもその違和感、いや、怒りの方が圧倒的に上回った。
これを名作とは呼びたくない。これを名作と呼ぶと失礼になる人々がいる。もっと言うと、卑怯であるとしか思えない。
問答無用の社会問題を、たかがミステリの小道具のために持ち出す。娯楽のタネとしては釣り合いが取れない重さなのに。
本来であれば本腰を入れて掘り下げるべき問題を、「遊び」の材料として扱う思慮の浅さ。正直、橋本忍の神経を疑う。
この映画は、役者の熱演と音楽でぶん殴る映画でもある。そこに成功してしまっているのがまた、たいへんタチが悪い。

病気も親子の情も、ミステリはすべてを消費物にする。ミステリとは、実に品性下劣な消費社会に適応した娯楽である。
僕がミステリを嫌う理由についてはさんざん書いてきたが(→2005.8.242006.3.312006.5.192008.12.52012.7.10)、
もうひとつ、決定的な理由をここではっきり言語化できたことには素直に感謝したい。名作ではなく、性根の腐った作品。
ミステリはどんなに大切なものも、すべて消費物にしてしまう。そして責任をとらない。まことに品性下劣な娯楽である。


2025.7.3 (Thu.)

『ビー・バップ・ハイスクール』。マンガ原作で、世間的には仲村トオルをスターダムに押し上げた映画ってところか。

2000年ごろのモーニング娘。が大好きっ子にとっては、『ピンチランナー』(→2001.4.112002.3.17)が大事件でして。
そして「監督は、あの『ビー・バップ・ハイスクール』で知られる青春映画の大御所・那須博之!」という扱いでして。
芸能ネタから長く離れて何も知らない僕としては、「ほう、そんな有名監督なのか」と素直に思っていたわけでして。
結果はご存知のとおり。那須監督はさらに『デビルマン』で揺るぎない地位を固めたわけでして(→2022.7.12)。
つまり『ビー・バップ・ハイスクール』は、日本史上最もダメな映画監督のひとりである那須博之が手がけた中で、
唯一評価されている作品と言っていい。いったいどこに褒める要素があるのか、探ってみようと思ったわけでして。

中身は東映ヤクザ映画と東映ヒーロー物のハイブリッドである。アクションの破天荒ぶりだけで評価されている映画だ。
電車のドアから川に飛び込むシーンが象徴的だが、ふつうじゃないことを実際にやっているからすごい、それだけ。
脚本もバカなら監督もバカで、その場のノリで印象的な画を撮りたいだけで、話をつくる能力がまったくもって皆無。
本物のヤンキーどもを鮮やかに使い捨て、リアルな映像に仕上げている。それだけで成り立たせている恐ろしさよ。
70年代からの遺産である映画の「偉さ」と、80年代の「ノリと勢い」、それが噛み合った記録映像としての価値はある。

役者陣についても書いておく。主役2人については、清水宏次朗の方が明らかに上手くて芸歴の差が如実に現れている。
でもその分「本物感」が出ちゃっているのが損。対照的に仲村トオルは下手さが現実のヤンキーとの差として解釈され、
得をしている印象。それにしても仲村トオルは今もぜんぜん変わらないのがすごい。まさに「ベビーフェイス」である。
ヒロインの中山美穂はもう亡くなっちゃったもんなあ……と思うと切ない。敵役は若き日の小沢仁志なんだけど、
成田三樹夫みたいでよかったよ。そんなわけで、結局のところ意図しなかった仲村トオルの一人勝ち、そういう映画。


2025.7.2 (Wed.)

AM編集部/じーこ『非モテの疑問に答える本』。

コミカルながらも自分を含めた非モテどもにしっかり現実を突きつけてよいではないか、というマンガ。
女性の論理的な思考をしっかり言語化して伝えているのが偉いと思う。そのうえでの指導がたいへん具体的である。
非モテからすれば、女性の視点はマスクデータに他ならないのだ。それをはっきり見せてもらえるのはありがたい。
2巻というヴォリュームもよいし、絵のヴァリエーションも楽しい。たいへん勉強になりました。


2025.7.1 (Tue.)

若尾文子映画祭、ラストは谷崎潤一郎原作の『卍』。監督は増村保造である。

観終わっての感想は「なんだこれギャグか?」である。まともなやつがいないんだから、そりゃギャグだ。
増村保造はギャグもできるんだなーと思うしかない。マジメにつくってコレとはさすがに信じたくない、ってレヴェル。

そもそもが、同性愛が云々かんぬん、という説明じたいが根本的に間違っているのである。
原作は知らんが、この映画はカリスマとカルトがテーマ。ヒロインによる最小単位のカルトの発生を描いているのだ。
同性愛は単にダシに使っているにすぎず、そこを強調するのは明らかに誤読である。おつむのデキがかなり単純な見方だ。
しかも岸田今日子演じる園子の語りで振り返る構成のため、ミステリ的要素が濃くなっているのがまたタチが悪い。
若尾文子演じる光子の魅力にみんなやられまくる話にしては、園子の立場を強調しすぎており、事態が客観的に見えない。
展開されるのは嘘だらけで、観客にしてみれば真実という基準が存在しない。ミステリのようで、ミステリにならない。
だから結局、何を描きたいのかがわからない。楊柳観音をもってきたことで、カルトの話として読むしかないのだ。
そうでないなら「バカ映画」として解釈するしかないだろう。バカなことを大真面目にやる。……やはりカルトなのだ。


diary 2025.6.

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